2.月曜日
昼休み直後の授業。
開け放した窓から入る気持ちよい風が少し黄ばんだカーテンを揺らし、僕は外に顔を向ける。見上げると空は澄んだスカイブルー。初夏にしては暑いくらいの日差しだ。
グラウンドでは体育の授業の真っ最中の生徒がハードルをやっており、白いティーシャツが黄土色の地面の上を跳ね回っている。
今日みたいな陽気だったら外で体育の授業も悪くないだろう。
そう思いながらも僕は教室内に視線を戻して黒板を見た。
物理科の教師である宍戸が口頭で説明しながら数式や説明文といった白い文字を大量に生産していた。僕はノートに写すのが苦手でも嫌いでもないが、流石にこの大量の板書を見ると僕は少しだけげんなりする。教室の中を見渡すと諦めてノートを閉じているクラスメイトも何人かいるほどだ。
そんな僕の思いなど露知らず、宍戸は黒板に板書を続けており、景気良くぶつかるチョークの音が教室内に小気味よく響きわたる。
しかしながら教師が板書する内容をただ書き写し、教師の話をただ聞くという一方通行の受動的な授業というものは眠いものだ。更には暖かな日差しと睡眠不足、それに単調な教師の声と昼食後という時間帯が相乗効果を生み出し、僕はその副作用で大きなあくびをした。
「萩野、俺の授業はつまらないか?」
突然自分の名前を呼ばれ、慌てて正面を向く。
物理科の教師である宍戸が僕を見ていた。なんと目敏いんだ。さっきまで黒板に向いて板書してなかったか?もしかして頭の後ろにも目があるっていうオチか?
クラスの視線が自分に集まっているのを感じる。なんか嫌な感じだ。
「え、いえ、昨日寝るのが遅くて……」
とりあえず言い訳を言う。まあ、本当のことで嘘じゃない。問題は真面目に勉強をしていたわけではなく、ソリッドフェンサーをやっていたことだろうが自分からは絶対に言わない。
「そうか、まあいい。ところでゲームか?」
いつも陰ではやる気が空回りしてるずれた熱血教師と生徒に言われている宍戸だったが、今日はやけに鋭かった。僕の趣味を宍戸が知っているわけも無く、夜更かしと聞いて普通ならば夜遊びやテレビをまず思い浮かべるんじゃなかろうか。いや、そうでもないか。
予想だにしない宍戸の問いだったが否定する必要も感じられず、とりあえず正直に答えることにする。
「……はい」
「まあゲームもいいが、授業は真面目に受けろ」
「はい」
宍戸はそれを気に再び授業を再開する。ってそれだけかよ。別にゲームの話を持ち出す必要は無かったんじゃないか?
宍戸は黒板がいっぱいになるまで書き続け一面を白い文字で埋めると、半分を消して新たに書き始めるのでゆっくりとは写してはいられない。切迫した現実を前に僕に集まっていた視線は次第に散っていき、約二十秒後には僕に注意を向ける人間は完全にいなくなった。
僕も眠気が一気に覚め、シャーペンを握りノートに走らせた。
予鈴が鳴り、授業が終わると武田晋悟が僕の席に駆け寄って来た。
「やばかったな翔。宍戸に目を付けられたんじゃないか?」
授業と言う束縛から解放された生徒で賑わう五分休みの教室で晋悟は周囲に負けず劣らずハイテンションだった。そのハイテンションを半ば羨ましく思い、半ば邪魔に感じながらも適当に相槌を打った。
「さあな」
「あいつは熱血教師だからなぁ気をつけろよ。つーかお前昨日ゲームして寝不足か?」
「今度から口を開けないであくびをするようにするさ」
晋悟の熱帯高気圧並みのハイテンションの影響を受けずに生活するには、剣技と同じで受け止めるのでは無く適当に受け流すのが一番だ。そうすればどんなに強い一撃も空回りするだけでダメージは少ない。
もっとも晋悟を軽くいなすのは簡単に見えて経験がいる。聞いているように見せかけたり、適当な相槌とばれないようになるには僕でも体得するのにそれなりの時間を要したものだ。
しかしながら晋悟の奴は僕と違い友達が多い。他の人が晋悟のマシンガントークをどのように克服しているのか僕は大いに興味があるが、もしかしたら単に耐えているのかもしれないと最近思った。それはそれでその人に敬意を表しよう。貴方の忍耐力に幸あれ、と。
「そうだ、翔。今日暇か?」
唐突に晋悟が尋ねてきた。こういう時は何か頼みごとをしてくる事が多い。僕は多少警戒しながら答えた。
「暇と言えなくもないが、なんだ?」
「いや、今日駅前のショップで限定発売されるゲームソフトがあるんだけどさ、俺今日の部活抜けれねぇのよ。代わりに行ってくれね?」
晋悟もゲームをやる人間で、僕が晋悟と比較的親しい理由にその点があった。
「まあ、いいけど。……変なゲームじゃないだろ?」
「18禁ではない、フツーの美少女ゲームだ」
「おっと残念ながら今日は突然に忙しくなりそうだ。というわけでやっぱ自分で行け」
「しらじらしい、しらじらすぎるぞ、翔」
「僕にはお前のような平然と美少女ゲームを買う勇気は無い。根性なしと嘲ってくれ」
「……そこまで言うか?ちなみに美少女ゲームというのは冗談だ。RPGの限定フィギュアのセットになったパックだ。頼むから買ってきてくれよ」
晋悟は両手を合わせて懇願してくる。
結局はフィギュア付きじゃないか、と言いたかったが晋悟には借りが一回あったので妥協してやることにした。どうやら借りは高くついたようだ。
放課後に僕は駅前のゲームショップへと出向いた。こじんまりと賑わう駅前にあるくせにやけに品揃えの豊富なことで有名なゲームショップで晋吾のフィギュア付き限定パックの入手に成功した僕は、ここまで来たついでに久しぶりに訪れた駅前を徘徊することにした。
とはいっても僕は人混みが苦手なのでゲームショップで新作ゲームを眺め本屋を物色するぐらいで、そろそろ帰ろうかと思ったとき僕の目にゲームセンターが目に留まった。久しくゲームセンターには来ておらず、なんとなくだが興味を覚え僕は寄ってみることにした。
僕はゲーセンには滅多に来ない。なぜならゲーセンでゲームをするのは金銭的に少々きついからだ。ほんのひと時のエンターテイメントに百円を出すくらいなら、百円分の電気代を払って家でゲームをしたほうがお得だろう。しかしアーケードででしかできない体験型ゲームなどもあるから一概には言えなかったりもするのも事実だ。
騒がしいサウンドが雑多に鳴り響き、喧騒を作り出している店内を進む。
体験型の代名詞とも言えるレーズゲーム、ゲームセンターに付き物のクレーンゲーム、ギャンブル性の強いコインゲーム、その他にも音ゲーやらガンシューティングゲームやら少しブームが過ぎたプリクラとかがひしめき合っている。
客はまばらで僕みたいな学校帰りらしき制服の学生やら、定職についてなさそうな若者やら、この時間帯になぜここにいるのかわからないサラリーマン風のオヤジやらいろんな人種が自分たちの世界に入り込んでいた。
ゲームと言うのは対人的な遊びではない。どちらかというと自分の中だけで完結してしまうことが多い遊びだ。ゲームプレイヤーはコンピュータ相手に孤独に戦いを繰り広げ、そして多くの場合敗退する。それでもゲームプレイヤーはその戦い自体に価値を見出し、金を払っていくのだ。
その点、オンラインゲームは対人的とも言える。仮想的ではあっても小さからぬ人間関係を作り上げることができ、たとえ人と接触しなくても仮想世界に満ちているのはNPCではなく、それぞれ別個の人格を持つ人間だ。それだけでも十分意識は違う。
人間が集まるところにはマナーやルールがある。現実世界であれ仮想世界であれだ。
学校にも、家の中にも、この小さなゲームセンターにも、ルールはある。そしてルールを守れない人間が悪者となり、排除されることになる。
僕はゲーム機を物色しながら奥へ進んでいった。奥にはアダルトな雰囲気を漂わせるマージャンのゲーム、コインゲーム機、そして格闘ゲームの対戦台。
90年代にあったという格ゲーブームはとうに過ぎ去り、システムの複雑化や初心者排斥傾向により格ゲーは次第にマニアックなものとなっていった。最近は操作が割りと簡単になってきてはいるが、昔はゲーセンの大部分を占めていたという対戦台も隅のほうへ追いやられてしまっており、プレイヤーの姿もまばらだ。
幾つも大型のブラウン管が並び、その前にはコントロールパッドが控えめに備えられている。ブラウン管にデモ画面が表示され、そのゲームの内容を知る事ができる。
ソリッドフェンサーと同様に剣などの得物で戦う格ゲーみたいなゲームで、多くの格ゲーが二次元であるのとは違い、このゲームもソリッドフェンサーと同じように三次元世界で戦闘を繰り広げるようだ。
そして向かい合うように並ぶ対戦ゲーム機の中央にはひときわ巨大なモニターが備えられており、そこには今は新作アーケードゲームのCMが流れている。だがプレイヤー同士の対戦が始まると、ギャラリーはこの巨大なモニターでその対戦を見ることが出来る。
俗に言うエキシビションっていうやつだ。
そして現に今、その対戦が行われようとしていた。
ギャラリーは僕を含めても数人だった。だがその幾らかは腕に覚えがあるであろう全員が呆気に取られ、そう言う僕もエキシビションに見入っていた。
えげつないぐらい強い。
相手に攻撃する暇を与えず連続コンボで叩きのめし、あっという間に体力ゲージが減っていく。はっきり言って力量が全然違うのだ。一方が悪ぶってる高校生なら相手はプロボクサーといったところ。相手になるはずが無い。
これほど力量差があるのなら少しは手加減してあげればいいものを、全然攻撃の手を緩めずにノーダメージで試合を終わらせてしまった。
僕はその情け容赦の無いPCを操っていたプレイヤーに興味を覚え、プレイヤーの姿を見るため立ち位置を変えた。
問題の筐体の前に座るのは、意外にも普通の女子高生だった。
背筋を真っ直ぐに伸ばして椅子に腰掛け、仮想世界の入り口であるブラウン管に目を落としている。およそゲームセンターには似合わない種類の人間だった。家に帰ったらまず机に向かって真面目に宿題を終わらせるようなタイプの人間で、少なくとも学校帰りに一人でゲームセンターに来てマジで格ゲーをしているタイプではない。一円玉の裏が五百円だったくらいにギャップがある。
まあ、世の中にはいろんな人間がいるもんだ。
僕は喉が渇いたので缶ジュースを買って戻ってくると、もう一度エキシビションに対戦の映像が表示された。台の番号は同じなのでさっきと同じプレイヤーが再び彼女に挑戦してきたようだった。しかし今回はPCを変えてきている。PCの使用武器はそれぞれ決まっており、そのPCの使用武器は長槍だった。
武器を変えれば勝てると思ったのだろうか?考えが甘すぎる。お子様カレー並みに甘い。
確かに剣で長槍に勝とうと思うと、実力差は二倍だか三倍だか必要だとか聞いたことがある。だがそれは現実の事。一撃で仕留める事の出来ないゲームの世界ではそう簡単にはいかない。
女子高生の操る剣士は槍兵の先制の突きを軽く剣で受け流すとそのまま接近。一気に槍兵に近付く。しかし槍兵も黙ってはいずにすぐに横になぎ払う。だが剣士は跳躍。横薙ぎのモーションを終えた槍兵の背後に着地し一撃する。しかし浅い。槍兵はすぐさま前転して追撃を回避。距離をとったところで再び横なぎに長槍を振るう。しかしそこにはすでに剣士はおらず、長槍は空を切る。
長槍はリーチが長い分、横に薙ぐとそれだけで動きにロスが出る。スピードのある攻撃がしたければ突くべきだ。そもそも長槍は斬る武器ではない。
剣士は今度は背後に回る事はなかった。槍兵の懐に素早く入り込むとしゃがみから斬り上げ、槍兵を宙へと舞い上げる。空中で制御の聞かない槍兵に剣士はコンボを仕掛ける。突き突き薙ぎ払い上段斬り下ろし突き。無駄のない攻撃に槍兵はどうすることも出来ずにピヨった。無防備な槍兵に剣士は尚も攻撃の手を緩めることはない。
踊るように剣士は動き、またしても槍兵は一方的に体力ゲージを削られていく。
僕は結果の見えている試合から目を逸らした。残念ながら槍兵には勝ち目がない。確かに長槍は中距離戦闘には向いているし、剣よりも間合いが広い。だが近接栓となれば話は別だ。相手の間合いに入れば圧倒的に不利になる。
あの女子高生の勝ちだ。
僕は再び剣士のプレイヤーである女子高生を見やった。彼女は表情も変えずに背筋をぴんと伸ばして筐体に向かっている。ただ手だけが同じ人間のものとは思えないくらいの速さで動き続けている。
さっきも思ったのだが、僕は彼女の顔に見覚えがあるような気がした。どこで見たのかは思い出せないが、知っている顔なのは確かのようだった。よく見れば僕の通う高校の制服を着ている。うちの高校は制服のジャケットの襟と袖にあるラインが灰色なので他の高校と見間違うはずがない。ついでに言うと彼女がしているネクタイは緋色。学年ごとに緋色、紺色、深緑色と分けられているので、彼女は僕と同じ二年ということになる。ということは学校で見かけたのかもしれない。しかしその結論に釈然としない。
そんなことに僕が悩んでいる間に勝負は決したようで、女子高生が向かう筐体の前に設置されている筐体に座っていた男が立ち上がった。
「なんだこら、ムカツク戦い方しやがって」
あーあ、よりにもよって負けて言いがかりをつけてきた。星条旗のど派手なシャツを着た坊主頭は例の女子高生の座る筐体に歩み寄り、彼女の姿を見て少し驚いたような顔をした。たぶん相手はゲーマーの気の弱い男だとでも思ったのだろう。ところがその勝手な思い込みは百八十度ほど外れて知的な感じの女子高生。しかも結構可愛いかったりする。
彼女は坊主頭を一瞥すると再び筐体に目をむけゲームを再開する。この手のアーケードゲームは勝ち続ける限りずっとゲームを続けれるのだ。
「……おい、シカトすんのかこら」
若干先ほどよりも威勢が良くない。怒りに任せて喧嘩を吹っかけたのはいいが、相手は普通の女子高生。一つ殴ろうにも相手が女ではどうも周囲の視線が厳しくなる。しかし今更引っ込むわけにもいかない、さあどうしよう。といったところだろう。間抜けだ。
先ほどのエキシビションよりも退屈な余興に僕は席を立った。
触らぬ神に崇りなし。それが僕の座右の銘だ。
面倒ごとに関わりあう必要なんてない。無視して180度回転、出口へ進めば余計なフラグを立てずにすむ。
だが僕は口を開いていた。コマンドの選択ミスは取り消せなかった。
「静かにしてください、ほかのお客さんに迷惑ですよ」
僕は笑みを浮かべながら丁寧に言う。
週間愛想笑い部門第一位が取れそうな完璧な笑みだ。しかしそれが逆に相手を刺激したらしく、頭の悪そうなにいちゃんは鋭い目つきで僕を睨むとだらしない歩き方で近寄ってきた。
どうやら標的を僕に変えたらしい。いかにもゲーマーっぽい雰囲気を漂わせた僕ならば、生贄にするにはもってこいの配役だ。
おそらくそんな考えで僕の前に立つ坊主頭。スキンヘッドじゃないところが少々間抜けだ。
とりあえず僕は愛想笑いを浮かべたまま、2歩の間合いを置いて坊主頭と対峙。身長が大体同じなため自然と視線が合う。
僕は決して目線を逸らさない。確かにコワモテのにいちゃんだが、目線を逸らせばそれだけで敗北を認めることになる。
「何だ、お前」
坊主頭は僕を睨みつけてきた。標的は完全に僕に移行したようだ。
……さてどうしようかな。
改めて周囲を観察する。
事の発端だったはずの彼女は突然現れた僕に訝しげな表情をして僕らの動きを観察しているが、賢明な事に他のゲーマーはコワモテのにいちゃんが怖くて知らないフリをしている。店員もいないようで誰も助けてくれそうにない。自分でどうにかするしかなさそうだが、幸いな事に坊主頭の仲間はいないようで面倒はこれ以上増えないようだった。
ならなんとかならなくもない。
しかしながら僕は喧嘩をしたことがない。兄弟喧嘩はともかく、ストリートファイトのような実戦は経験したことがない。
だから相手とまともにやりあう気なんてさらさらなかった。相手は僕と体格は互角のようだが、相手がどれだけのスキルを持っているか分からない以上、まともに戦うのは賢明ではなかった。よって僕は逃げる事にする。
この結論を出すまでに一秒。
坊主頭はだらしなく着たズボンのせいでろくなスピードで走れないだろうが、万が一という事もある。隙を突いて逃げるのも少々危険だ。だから僕はひとつ策を謀ることにする。
僕の考えなど露知らず、坊主頭は僕を小突こうと腕を伸ばした。
比較的遅いモーションなので簡単に体を捻って避ける。僕を馬鹿にしてないかい?それくらいのスピードに反応できなければ格ゲーなんてできないよ。もっともゲームはほとんど「反応」であって「反射」ではないから、ゲームをやってるからといって反射神経が良くなるわけじゃないんだけどね。
小馬鹿にされたような動きに坊主頭はキレた。
僕を殴ろうと腕を後ろに引き、それから殴るモーションへと移る。
これだから戦いの素人は困る。はっきり言ってこの後ろへ腕を引く動きは無駄だ。このタメには意味がないし、コンマ数秒であろうと決定的な隙が生じる。ボクシングの選手がしているように脇をしめたファイティングポーズから殴るのが一番いい。
だが目の前の坊主頭はそれを知らなかったようだ。
ここで僕は先制攻撃をすることができた。でも僕は殴らない。坊主頭を殴っても拳が痛くなるだけ損だ。そもそも人間の手というのは複雑で繊細な器官の集まりだ。殴るという行為自体生物学的に考えて不合理なのだ。だからボクサーはグローブをはめるし、メリケンサックやナックルなどといった武器が存在するのだと僕は思う。
坊主頭の殴りのモーションが始まり、僕を殴ろうと踏み込んでくる。
基本的にパンチというものは直線的なもので、その上キックに比べて遥かに攻撃範囲は狭い。そして男は勢いをつけて踏み込んでくるのでその動きは更に読みやすくなっている。
では問題です。直線的な攻撃をかわすにはどうしたらよいでしょう。
答え。横に逃げる。
行き場をなくした拳は空を切り、無駄に踏み込んできたため慣性の法則に従い前のめりになる坊主頭。その視界から僕の姿が一瞬消え失せ、振り返った坊主頭が目にしたもの。それは缶ジュースを持った僕。きっと不敵に笑みを浮かべている。
僕はためらうことなく振り返った坊主頭に向かって缶ジュースに入ったコーラをぶちまけた。単なるカフェインと砂糖入り炭酸水だから害はないだろうが、きっと目は痛い。その上シュワシュワベタベタだ。
予想通り坊主頭は顔を両手を押さえて苦しみだした。目に入ったらしい。期待を裏切らないリアクションをありがとう。お陰で僕は逃げられる。
僕は振り返り、事の元凶である彼女を見据えると声をかけた。
「逃げるんなら今のうちに逃げなよ。それじゃあ僕は逃げる」
時間を稼げるのは僅かだったので僕は彼女の反応を見届けずに駆け出した。
天気予報じゃあ雨が降るなんて言ってなかった。
それなのにゲームセンターを出ると土砂降りの雨。当然の事ながら傘なんて持っているはずがない。簡潔に一言で言い表せば、最悪だ。
僕は覚悟を決めて冷たい雨の中を駆け抜けて、僕は今駅のホームにいた。
髪の毛から滴る水滴を拭い、ハンカチで顔を拭くが全身濡れているのであまり意味がある気がしない。じっとりと水を含んで重くなったズボンと肌に張り付くワイシャツをどうにかしたいけれどどうしようもなく、ただ居心地の悪さだけが付きまとっていた。
水も滴るいい男、なんて冗談を言う気にもなれないほど不快だ。
正直言ってついてない。アンラッキー。バッドラック。
言い換えたところでなにか変わるわけじゃない。雨音の響くホームで僕は電車を待つ他ない。駅前の道を車が走り抜けるたびに水の跳ねる音が聞こえ、雨音と一緒にBGMになって周りに染み込んでいくだけだった。時々駅を通過する快速列車が派手な音を立てて線路を走り抜けていくのを聞きながら、僕は少し孤独を感じていた。
ここには雨の匂いと雑多なBGMと僕しかいない。
地の果てではない、周りに人は幾らでもいる街中で僕は独りだった。
……どこか奇妙な感じだ。雨のせいかもしれない。雨は嫌いじゃないけれど、どこか哀しい気持ちになる。
そんな僕の気持ちを打ち消すかのように三両編成の普通列車が駅のホームに近付く。そして乗降口が僕の前のところで列車は止まり、ドアが開いて数人の乗客が降りていった。
もう人が降りないことを確かめて僕は列車に乗り込む。乗客の姿は全然無く席は空いているがずぶ濡れの体で座るわけにも行かず乗降口のそばに立った。
ドアが閉まりかけたとき一人の陰が現れ、車掌がドアを再び開けた。
顔を上げるとゲームセンターの彼女の姿がそこにあった。彼女は列車に乗り込むと膝に手を付き息を整えようとしていた。彼女も傘を持っておらず当然の事ながら僕と同じずぶ濡れだ。
そうしている間に列車は動き始め、駅が後方へ遠ざかっていく。
なんで彼女がここにいるのか分からなかったが、とりあえず僕は声をかけようかと思ったがどう声をかけたらいいのかよく分からない状況なのでとりあえず黙っておく。
ただ呆然と彼女を見る僕をどこか疎ましげに彼女は見るとゆっくりと上体を起こし、口を開いた。
「……さっきはありがとう礼を言うわ死ねこの馬鹿糞ったれ余計なお世話だっていうのよ」
句読点なしに罵倒された。
あまりに突然の事で声も出ない。感謝される覚えはあっても罵倒される覚えはないので、流石の僕も0.5秒ほど戸惑った。
しかしきっかり一秒で我に返り、彼女の暴言を無視することにして僕は窓の外の灰色の空を見上げた。
話を聞いていない僕を無視して彼女は饒舌に語り始める。なんというか、お互い勝手だ。
「ここは法治国家なのよ?あの男が先に手を挙げれば私は被害者として振舞う事ができるし、私が反撃しても正当防衛になるから罪には問われないのよ。第一私は女で一般的見地から見ても私の方が弱者でしたし、あの場には証人となる人はいっぱいいましたから……」
そこまで打算的だとなんだか嫌な奴だ。でも僕はそのことは口にせず他の事を言葉にしていた。
「でも殴られたら痛いじゃないか」
「……それくらい何よ。最後に勝てればいいじゃない」
「相手がナイフを持っていて刺されて死んだら勝ち負けはないよ。むしろ生き残ったほうが勝ちだ。僕は死にたくないし、痛いのも嫌だからね。逃げる事にした」
「だから、なんだって君は口出ししてきたわけ?黙っていればあのチンピラに睨まれる事はなかったし、雨の中逃げる必要もなかったのよ?それともなに?ヒーローにでもなりたかったの?これは忠告だけど早死にするわよ」
よく喋る人だ。いつ呼吸しているのかちょっと気になった。
「別にヒーローになりたかったわけじゃない。もしそうなら逃げるわけないだろ」
「じゃあ何が理由だってわけ?」
彼女は挑戦的に僕を見つめてきた。しかし僕はその挑戦には応えられない。自分でもなぜあんな行動に出たのか分からなかったからだ。
「……さあ、なんでだろう」
「はぁ?」
僕の御門違いな質問に、流石の彼女も間抜けな顔をした。なぜ僕はあんな行動をしたんだろう?
「なによそれ」
心底呆れたと言わんばかりの顔を彼女はして僕を見た。馬鹿にしているともとれる眼差しだったが、なぜか腹は立たなかった。きっと自分でも可笑しいっていうことが分かっていたからだろう。まあそんなことはどうでもいい。
「ところで僕に文句を言うために走ってここまできたわけ?」
「……別にそういうわけじゃないけど」
彼女は目線を逸らし曖昧に言葉を濁した。
まあ、彼女の本意なんかどうでもいい事だ。二人とも沈黙したまま二つ目の駅を通過した。
あと三分もしないで僕が降りる駅に到着する。そこでさっきから気になっている事を尋ねる事にした。
「一つ訊いてもいいかな?君を知っている気がするんだけど」
僕の問いかけに、彼女は予想以上に悪い反応を返した。険しい顔が更に険しくなる。
「……本当にどこまでもムカつく人ね、君は」
僕の質問のどこに問題があるのか全然分からないが、彼女はあからさまに苛立った表情を見せた。とりあえず彼女から答えを得るのは諦めた方が良さそうだった。まあ最初からそんなに気にしていたわけじゃない。彼女から答えが得られないなら諦めるより他ない。
そうこうしている内に列車が駅のホームに進入した。スピードが落ちるのを感覚して僕は床に置いていた鞄を持つと列車の外を見やった。やっぱり雨は止みそうにない。
「それじゃあ、さようなら。それと風邪引かないように」
列車が止まりドアが開くと僕は彼女にそう告げ列車を降りた。
屋根のかかっていないホームを走り、駅舎へを駆け込む。冷たい不快感が全身にまとわりつく。今の状態を考えると絶対に服を着たまま泳ぎたくはないと思う。
くそっ、今度折り畳み傘を見つけたら買っておこう。
*
ソリッドフェンサーの中は今日も快晴だ。
天候なんて関係ないバーチャルな世界だから当たり前のことだが、ついさっき現実世界で思う存分雨に濡れた身分にとっては憎憎しいまでの快晴である。
そんなくだらないことを考えながら僕はグレイマン同盟が拠点としているスペースにPCを進ませた。はっきり言って面倒だったが、まあ用事もないしサボる理由も見つからないので出席する事にしたわけだった。連絡事項ならメールで済ませればいいと思うのだが、どうやら841に何か考えるところがあるようだ。
僕はいつもは来ないサーバーの中にある街を歩いていた。
基本的にショップやチャットルーム、フリースペースに使用される建物が立ち並ぶ街はゴールデンタイムという事もあいまってPCで溢れていた。
オンラインゲームを嗜む人間はただ単にゲームを楽しむため、そして他の人との交流を楽しむための二つに大きく分けられる。人が大勢集まる街≠ノはコミュニティーを求める人間が多く集まり、ゲームそのものを楽しむ人はあまり寄り付かないという事になっている。
MMORPGとはRPGにコミュニティーネットワークという付加価値を付けたものであるが、実際コンシューマで広がったRPGそのものがプレイヤー一人で完結するものだったので、MMORPGの存在そのものが矛盾しているという考えが強かった。
しかしながらコミュニティーを持つことのできるMMORPGだからこそ出来る事もある。それがGvGだ。
GvG、またはギルドバトルとも言われる対人戦は最も規模の大きな集団戦であり、人間を相手にしているからこその面白みがある。こればかりはコンシューマでは体験できないものだろう。
そういったコミュニティーの代表的なものであるギルドであるが、ギルドの拠点となるギルドスペースは便宜上こういった人の集まる街≠ノあることが多く、グレイマン同盟のギルドスペースクレイドゥル・オブ・ムーン≠燗ッじだった。
問題のクレイドゥル・オブ・ムーン≠ノ到着すると、入り口には大柄のPCが立ちふさがっていた。
ソリッドフェンサーは格闘戦が主体であるため、システムとして物理的にPCや建物のポリゴンを通り抜ける事はできない。デジタルで表現された世界で物理的というのは可笑しい気もするが、そもそもこのバーチャルな世界も現実世界に似せて作られているのだ。仕方のない話でもある。たまにバグとして通り抜ける事のできる壁とか、何もないのに進めなくなるフィールドとかはあるが基本的に現実世界と同様の移動しか出来ないのだ。
ようするに僕はそのPCがどけないとクレイドゥル・オブ・ムーン≠フ中には入れない。つまりはそのPCはどうやら門番らしく、クレイドゥル・オブ・ムーン≠ヨの入室を制限していた。仕方なく僕はそのPCの前に立つとメッセージを入力した。
〈*: 841に呼ばれたんだけど〉
しばしの沈黙があったのちメッセージの入力があった。
〈tetsu34: コメジルシなんて名簿に載ってないぞ。今日は名簿に載っていない奴は入れないんだ〉
〈*: あの、コメジルシじゃなくてアステリスクですけど〉
よく間違われるので説明は慣れていた。というか皆知らないのかよ。それにアステリスクは日本語で言うなら星印であって米印は別にあるだろうに。
〈tetsu34: ああ、悪い。中に入ってくれ〉
名簿で確認したらしい門番はPCをどけ、僕に道を譲った。
内部に入ると落ち着いた色のグラフィックで室内が表示された。装飾具の類はあるもののギルドスペースとして用意されているのは単なるPCが入れるだけの箱だった。
ソリッドフェンサーのゲーム管理会社がギルドに与えるギルドスペースは単なるチャットルームではなく物理的な空間を有していた。グレイマン同盟のメンバー全員が入れるほど広い内部だが、今日はまだせいぜい二十名ほどしか来ていない。ゴールデンタイムだから出席できないプレイヤーは少ないと思うのだが、集まりが悪い。
どういうことか訝しく思いながらも僕は集まった集団の中にEDの姿を見つけて歩み寄った。
EDは僕の姿を見とめ、メッセージを表示してきた。
〈ED: お、来たか〉
〈*: EDさんが来いって言ったんでしょう〉
〈ED: そうだがお前ならすっぽかしかねないからな〉
〈*: ええ、841の命令でなきゃ来ませんよ〉
〈ED: 人付き合いの悪い奴〉
〈JIS: お、アスじゃねえか。珍しいな、お前が集まりにくるなんてよ〉
インテリっぽい風格のPCが僕の姿を見て歩み寄ってきた。JISだ。
〈*: お久しぶりです〉
JISはソリッドフェンサーでは珍しい魔導師タイプのPCだった。
ソリッドフェンサーもファンタジーRPGということもあり攻撃魔法などを用意はしているが、格闘ゲームにおいての魔法の使い勝手の悪さや、その攻撃のシビアさから使うプレイヤーは数少ない。
〈JIS: ホントにお久しぶりだな。相変わらず一人でプレイするのが好きな奴だな。お前だったらスタンドアロンをやってるほうがいいんじゃないのか?〉
オンラインゲームの利点として他のプレイヤーとの交流を挙げる人は少なくない。ゲームそのものではなくチャットを目的としてログインしてくるプレイヤーもいるほどだ。
その点他者との交流を控えている僕はオンラインゲーム向きとは言えないのだろう。
〈*: そんなこと言わないでくださいよ。正直自分でもそう思ってるんですから〉
〈ED: 自分で言ってりゃ世話ないな〉
僕は苦笑しつつ二人のPCを見比べた。
同じソリッドフェンサーのPCといえども個性が如実に現れている二人だ。
ソリッドフェンサーでは戦闘回数と戦闘内容により経験値が付加され、経験値が一定量を超えるとレベルが上がる仕組みになっている。プレイヤーはレベルの上昇に伴うステータスの上昇値を自分の好きなように体力、攻撃力、防御力、瞬発力、魔導、特殊技能、運といったステータスに振り分ける事ができ、各々自分の好きなようにPCを作り上げる事ができる。
またこのステータスの総量は決まっており、各ステータス全てが最大値になることはなく、EDのように特殊技能や魔導といったものを犠牲にして体力と攻撃力を強化させたPCもいれば、体力と攻撃力を最低限に留め魔導にのみ特化させたJISのようなPCもいる。
このステータス値の偏りはPCの外見に表れ、EDのような攻撃重視のPCは筋骨隆々に、JISのような魔導士タイプは線の細いインテリっぽくなるのだ。そして彼らは思い思いの装備を身につけているので同じPCは一つとしてないと言えるほど個性が表れてくる。
〈JIS: そういやEDの武器、新しくね?〉
〈ED: そうだ。いいだろ〉
〈JIS: 別に。俺は魔導補助具しか興味ねぇし〉
〈ED: どいつもこいつも少しは話しにのれよ〉
EDは少し不満げに言葉を漏らす。JISは魔法を補助の攻撃方法として使うのではなく魔法専門を使うPCなので武器の類は持たずに魔法の力を強める補助具を使用していた。魔導師自体が珍しいソリッドフェンサーにおいて魔法専門のプレイヤーはかなり珍しいと言え、JISはかなりの変わり者と言えるだろう。
〈ED: しっかしお前も物好きだな。魔法だけに特化するなんてよ〉
〈JIS: こんな変人だからこそグレイマン同盟に入れたってもんさ……お、来たぞ〉
JISは姿を現したPCを見ると早々にメッセージを打ち切った。
僕はJISの言葉に出入り口を見る。
若い女の剣士タイプのPC。鎧などを装備していないためシルエットは細く、移動するたびに特徴的な赤い髪がプログラムどおりに揺れる。
グレイマン同盟のリーダー、841だった。
841はなまじ有名なだけあって、841のプレイヤーに関してはいろいろな噂があった。
例えば実際は女子高生だとか、ゲーム雑誌のライターだとか、はたまた幾つかのIDとPCを併用していていくつかのギルドを掛け持っているなど真偽が不明なものが殆どだが、女性なのは確かのようだった。
《841: 皆さん、こんばんは。突然呼び出して申し訳ありません》
ギルドチャットを使って841はメッセージを表示してきた。
ギルドチャットとは大人数での会話が可能なシステムで、普通のPCの頭上に表示される吹き出しのような簡易メッセージとは違い、他のPCの陰になってメッセージが見えないということはない。
《841: 今日ここに呼び出したのはある事をここにいるメンバーに伝えるためです》
《Rocky: でもここにいるのはグレイマンの全員じゃないだろ》
近くに立つスキンヘッドのPCがメッセージを浮かべた。それを受けて841が答える。
《841: その通りです、私がグレイマンのメンバーから選び出した十六人です》
《JIS: なぜ選び出したんだ》
《841: 今から説明するから少しの間黙って聞いてもらえるかしら?》
彼女の言葉で一同は静まりかえった。といっても最初から誰も声は出していないが。
《841: 実はソリッドフェンサーの管理会社主催によるGvGのトーナメント大会をすることになりました》
841のメッセージを皮切りにメンバーのメッセージが次々に浮かび上がった。
そのほとんどが特に意味は無い歓声に近いものだったが、二十名近い人数が一斉にそれやるのだからチャットのログが一気に増えて何がなにやら分からなくなる。
しかし彼らがざわつくのも当たり前だ。GvGというのはギルド同士の戦闘のことで、最も規模も大きい対人戦であり、それの大会なんてそう滅多にやることではない。戦歴から勝率を割り出してランキングを発表する事はあるものの、トーナメントは僕が知る中では初めてだった。
《841: 黙って聞いてって言ってるでしょ?》
841の言葉は単なる文字列に過ぎないが、言い知れぬ怒気が感じられ、それにともないメッセージはおさまった。
《841: とにかくこのメンバーでやることにしました。抜けたい人は今言ってください。新しくメンバーを選び直さないといけませんから。まあGvGなんてそうそう出来ない経験ですから、やっても損はないと思いますけど》
当然の事ながら抜けたいと言い出す人間はいない。それは僕も含めてだ。
《841: 戦闘はチェススタイルで行われ、コロシアムはゼルカル遺跡を予定しています。ちなみに初戦の相手はボイルドエッグの人たちで試合は一週間後。それでは考える時間をあげますので、抜けたい人は今日中に私にメールなりしてください。何の連絡もない場合は承諾と受け取りますから。では以上です》
ギルドチャットが一方的に終わり、プレイヤーはそれぞれ集まって議論を交わしていた。
〈JIS: 付き合いの悪いお前でももちろんやるだろ?〉
〈*: そうですね。考えてみます〉
〈ED: 考える必要なんてあるかよ。時間はいつもプレイしてる時間だし、特に気をもむ要素は無いだろ〉
〈*: そうですけどね〉
〈ED: なんだ人付き合いが嫌だってか?〉
〈*: 別にそういうわけじゃないですけど〉
〈JIS: だったら迷うなよな〉
「GvGか……」
僕は知らず知らずのうちに現実世界で言葉を漏らしていた。
確かにGvGの大会なんて滅多に経験できないから、これを逃せば次は無いかもしれない。EDが言うように迷う必要なんて本来ならないのだ。
ただなぜ841がメンバーに僕を加えたのかが分からなかったが、ラッキーとも言えた。
ドアノブが回る音が聞こえて振り向くとドアの開いた隙間から愛海が顔を覗かせていた。
「あ、お兄ちゃんいたんだ」
「自分の部屋にいて何が悪い。それにノックぐらいしろ」
愛海は軽く肩をすくめると部屋の中に入ってきて、パソコンに向かう僕の姿を見た。
「何か用か?」
僕に言われて思い出したように手を打つと、僕の背後にある本棚を見上げた。
「本貸して。生物図鑑持ってたでしょ?」
「ああ」
僕は立ち上がり本棚から生物図鑑を探し出すと愛海に手渡した。
「サンキュ。……しっかしねぇお兄ちゃん、毎日ゲームやってて飽きないの?」
「飽きないからやってる」
呆れたような表情で愛海は僕を見た。妹のクセに何で姉貴面してるんだ?
「そんなことしてるよりもっと建設的で生産的なことをしたら?」
「例えば?」
僕の問いに愛海は頬に指を当てて考えこんだ。
「そうだなぁ、例えばリーマン予想を証明する方法を探している方がまだ有意義にすごせるんじゃない?」
よりによって100万ドルの懸賞がかけられた七つの数学の未解決問題のうちの一つであるリーマン予想とは。リーマン予想はまず解けないと言われ、人生を無駄にするとさえ言われるような問題だ。こいつもなかなか言うようになってきた。
「まったくもう、高二なんだから彼女くらい作りなさいよ」
「……お前に言われる筋合いは無い。つーか勉強しろ受験生」
「はいはい、言われなくても勉強しますよーだ」
愛海は舌を出し生物図鑑を抱えて部屋を出て行った。……ん?生物図鑑は一体何に使うんだ?受験勉強か?……まさかな。